座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯14度43分 西経75度8分 / 南緯14.717度 西経75.133度 / -14.717; -75.133 (ナスカの地上絵)
ナスカとパルパの地上絵
(ペルー)
ナスカの地上絵(サル)
英名Lines and Geoglyphs of Nasca and Palpa
仏名Lignes et Geoglyphes au Nasca et Palpa
登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年1994年
備考2016年に名称変更。
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
使用方法・表示
地上絵の全体が分かる衛星画像。(右側が北)広大な大地に無数の直線が描かれていることが分かる。なお動植物を描いた絵はこの写真では小さすぎて確認できない。北にある川の対岸には、パルパの地上絵のエリアがあり、ここにも無数の地上絵がある。
ナスカの地上絵(ナスカのちじょうえ、Nazca Lines)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた平坦な砂漠の地表面に、砂利の色分けによって描かれた幾何学図形や動植物の絵の総称であり、古代ナスカ文明の遺産である。ナスカの図形群が描かれているエリアは縦横30kmもある非常に広大な面積があり、全体に千数百点もの膨大な数の巨大な図形が描かれている。あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎の一つとなっている。また、ナスカの地上絵のエリアから川を挟んですぐ南にはカワチの階段ピラミッド群があり、その関係性は深いと予想されている。
ナスカの地上絵のエリアのすぐ北には、川を挟んでパルパの地上絵(パルパのちじょうえ、Palpa Lines)[注釈 1]と呼ばれる同じぐらい広大な山岳地帯の地上絵のエリアがあり、ナスカの地上絵の1000年前パラカス文化の時代に描かれたとされる数多くの幾何学図形と地上絵が描かれているが、観光地化されていないので一般にはあまり知られていない。
ナスカの地上絵とパルパの地上絵はともに世界遺産に登録されている。 ナスカの地上絵は、1926年にアメリカの文化人類学者のアルフレッド・クローバーとペルーの考古学者メヒア・ヘスペ
概要
動物の地上絵を発見したのはアメリカの歴史学者ポール・コソックで[1]、1939年6月22日に上空を飛行した時に発見された。その後ドイツの数学者、マリア・ライヘが終生この地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。
近年でも新たな地上絵が発見されており、2011年1月18日、山形大学は、人文学部坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループがペルー南部のナスカ台地で新たな地上絵2つを発見したと発表した。新たな地上絵2つ(人の頭部、動物)はナスカ川の北岸付近で見つかった。人間の頭部と見られる絵は横約4.2m、縦約3.1mで、両目・口・右耳の形が確認されている。動物と見られる絵は、横約2.7m、縦約6.9m。種類は特定できていない。山形大学は2012年10月30日にナスカ市にナスカ研究所を開所した[2]。2013年に入って同大はさらに2つ並んだ人物と見られる地上絵を発見し、更に2015年には24点もの地上絵が新たに発見されたと発表した。また2019年には143点もの地上絵が新たに発見されたと発表した[3][4]。
近年、自動車の侵入による破壊が著しく消滅の危機にある。具体的な人為的破壊の例としてはグリーンピース (NGO)のパフォーマンスによるものが知られている[5]。地上絵のあるエリアは保護のため許可なしには立ち入れず、立ち入りの際には専用の靴を履くこととなっているがそれが守られなかった。また、いたずらによるものと思われる地上絵[注釈 2]も複数発見されている。
主な地上絵の規模有名なコンドルの絵
ナスカの地上絵の中では動物や昆虫等の絵が特に有名であるが、それは地上絵全体からすれば極々一部の比較的小型の絵であり、地上絵の大部分は地平線まで続く無数の正確な直線を含む、動物の絵とは比較にならないほど巨大で膨大な数の幾何学図形である。特に滑走路のように見える細長い台形、もしくは三角形のモチーフはエリア全体に渡って無数に描かれている。 ナスカの地上絵が立地する場所は、ペルー南海岸地方の北から南へ走る丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパ=コロラダ、パンパ=インヘニオと呼ばれる細長い盆地である。長い年月の間に、西方や東方の比較的高い場所からの水の流れが浸食した土砂を盆地に運び続けた。このような土砂は細かくて明るい色、黄白色
立地と環境
ナスカの地上絵は、このような盆地の暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m?2m、深さ20?30cm程度取り除き、深層の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって「描かれて」いる。規模によってはもっと広く深い「線」で構成されている。地上絵の線は最初に線の中心から外側へ暗赤褐色の岩、砂、砂利を積み上げる、それから線の中心部分に少し残った暗赤褐色の砂や砂利も取り除いて明瞭になるようにしたと推定される。 ナスカの地上絵の制作方法,意図解明や地上絵の分布図作成、出土品のカタログ化を含む研究は、米国の大学(文化人類学部,考古学部)で主に進められているが、現地調査がペルー政府によって認められているのは坂井正人
地上絵のマッピングと学術研究
2019年9月18日、山形大学はIBMワトソン研究所と地上絵の共同研究を行なうための学術協定を締結した。IBM Cloud上で提供される「PAIRS Geoscope」といった3次元時空間地理データ統合解析システムや、IBMのAIプロダクトであるWatsonを利用し、航空レーザー測量、衛星写真、合成開口レーダー、ドローン(多波長センサー)、地上型3Dスキャナー等で得られた全てのデータを整理して分析できるようにする。[6]
山形大学では2018年から日本IBMと共同で、高解像度の空撮写真などの大容量データをもとに、高速に処理できるAIサーバー「IBM Power System AC922」上に構築された深層学習プラットフォーム「IBM Watson Machine Learning Community edition」を使用し、地上絵を自動検出できるAIモデルを開発し、それを地上絵の発見に活用している。
具体的には、山形大学が所有していたナスカ台地の東西5kmの範囲に渡って撮影された線や面の地上絵の航空写真を、教師データとして学習させたという。現在、精度の向上が課題となっている。[7]
今後、気候変動や都市開発の拡大などによって地上絵そのものが消えてしまう可能性が高くなる。そのような危機に備えて山形大学は保存作業を進めている。
描かれた年代地上絵の航空写真(ハチドリ、一筆書きに注意)
ナスカの地上絵が描かれた年代は今からおよそ2000年前、パルパの地上絵は更に古く今から3000年ほど前に描かれたものと言われている。
地上絵にはサル、リャマ、シャチ、魚、爬虫類、海鳥類が描かれ、ナスカ式土器の文様との類似点が指摘されてきた。
1953年、コロンビア大学のストロング (W. Duncan Strong) は、パンパ=コロラダに描かれた直線のうち、土中に打ち込まれた木の棒で終わっているものがあるのに気づいた。こうした棒のうち一本をC14法で年代測定を行ったところ、西暦525年頃、誤差前後80年程度と判明した。
また、1970年代のはじめ、G.S.ホーキンズ (Gerald S. Howkins) は、パンパ=コロラダでたくさんの土器の破片を採集し、ハーバード大学のゴードン・R・ウィリー (Gordon R. Willey) とカリフォルニア大学バークレー校のジョン・H・ロウ (John H. Rowe) に鑑定を依頼したところ、そのうち、85%がナスカ様式の土器だと判明した。残りの土器はそれ以後の時代、10?14世紀のものだった。
同じ頃、ペルー文化庁のラビーネス (Rogger Ravines) も、パンパ=コロラダの周辺の遺跡から土器片を収集して、観察した結果、全てナスカ様式だった。これは、地上絵の近隣の遺跡は地上絵を描くための一時的な労務者集団の野営地とも考えられている。これらの結果から、時期的には、先行するパラカス文化の終わる紀元前200年頃から西暦800年頃のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されている。
地上絵を描いた意味
マリア・ライヘなどによる暦法関連説